フランシス ハを見た

今日は月曜日。

私は上司から昇進試験用の論文を書き直しを課されていた。

「子育てしながらも大変でしょうから、まぁ土日、じっくり練り直してみてくださいよ」

もちろん、昨日の就寝時点で一切、手を付けていなかった。そして、早朝5時、息子に授乳して起きるとともに課題を読み直す。頭に入らない。読み直す。眠い。の繰り返し。朝8時、私は布団に仰向けのまま死んでいた。

長女が登校し、長男もRとともに保育園へ行ってなお、私の頭はフリーズしていた。コーヒーを沸かす気力もなかった。

朝9時、息子の食べ残したおにぎりを食べながら私のしたことはフランシス ハを見たことだった。素晴らしい映画!気取りがなくて、どこまでも気取りがない。そして、チャーミング。

これについて、私はずっと考えている。私はこういう表現をしたいのよ!と。私の周りにも記録に残したい日々の記録がある。それこそ、気取りがなくてどこまでも気取りがなくて、それでいて、チャーミングな。それを保存する方法、そして、公開する方法。気取りのない文章は可能なのか、文章は伝達形式なので、気取りのなさでは映像に負けるわけである。

もし、文章で気取りのなさをつたえるとしたら、これについては映像には負けますが、と予め敗北を認めておこうと、序文で明らかにしておこう、と固く誓った私であった。

午前11時、ようやく論文を形にした。怒られようが、これしかできない、これもまた、予め謝って提出しなくてはいけない。